悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

桜が咲いたら団子を食べよう。

新年度。春。桜。以前はそういう新しい時期とか季節とか、希望に満ちた印象を受けるモノに対してとても否定的だった。自分の持っていない何かがそこにある気がして、卑屈で矮小な自分には受け入れ難かった。前回の記事に書いたように今はそれらをすんなりと受け入れて喜ぶことができており、自分の感覚の変わり様にただ驚くばかりである。これが成長なのか老いなのかわからないでいるあたり、中途半端な感じは否めないが。

 

4月に入ってやっと仕事を辞める目処が具体的なってきたことで少し気持ちに余裕が生まれてきた。会社の人間で僕が仕事を辞めることを知っているのは常務と同僚の2人だけであり、他の先輩方は今まで通りの態度で僕に接している。優しく接してくれる人もいるがそうで無い人の中には新人や仕事が出来ない人らを見下し、貶し、罵詈雑言を吐いて冷たく遇らうような態度を取るような人間もいる。単語で表すとパワハラと呼ばれるソレを平然と行う彼らが嫌な奴である事は間違いないが、さて彼らのような人間は「悪人」なのだろうか。

 

前回書いたようにパワハラは罪だが彼らは悪くは無い。つまり最初から答えは出ていて彼らは悪人ではない。彼らには彼らの主張する意見があり、その中には彼らなりの意味や意義がある。それらの思想が僕には合わなかっただけなのだ。だから何も言わずにこの会社を去るだけなのだ。それ以上でもそれ以下でもない。他責的な思考をしようとは思わない。この文章が甘えのように聞こえるのなら、それもまた仕方ない解釈だとは思うが。

 

春になり、せっかく暖かくなってきて気分も晴れやか、来月のことを考えるだけで踊り出しそうな勢いの今日この頃。大袈裟に表現したが、正直な話をすればそこまで期待はしていない。今の自分は人間という生き物に期待をしていない。優しい人もいるだろうし、そうじゃない人もいるだろう。それは変えようのないものだし、なるようにしかならない。結局自分の受け取り方次第だとも思うし、そこには今ほど酷い状況にはならないだろうという楽観も含まれていたりもする。

 

言葉に対する受け取り方については深く考えなければならない課題だと思う。必要以上に良く捉えても、逆に悪く捉えても事実や真実からは離れていく。SNSでも言葉を巡る対立や解釈の違いに怒りを発露させている人たちを見ているととても悲しくなる。不愉快な思いをするぐらいなら関わり合いにならなければいいのに、と。

自分に必要なのは都合の良い解釈を辞めることだ。解釈とは理解とは違い、ある程度"幅"と"ゆとり"を持って行われる主観的な認識作業だ。理解という行動は幅もゆとりも無くそのままの形を客観的に確認させられる作業だ。

なぜ今、都合の良い解釈をやめなければならないのかといえば、一言で言えば「他人へ無用な期待をしてしまうから」だ。話がループしそうな予感がする。

無用の期待。自身の例で言えば、パワハラを平然と行うクソみたいな人間もある程度時間が経てば慣れて優しくなると勝手に期待していた。入社から半年以上経った今でも少なからずその様に期待している自分に「なんて甘い考えなんだ」と辟易とする瞬間もある。逆に自分の中に整合性を取ろうとして必要以上に言葉に敏感になって、脳内の相手を脳内で勝手に悪人に仕立て上げようとしている瞬間もあったように思える。極めて主観的で脆い考えだ。

 

主観的であることは情動を必要とする場面なら良い事だが、そうでない場面では自分の見えていない事実にまで気が回らず意図的な解釈をし易く不必要に大きなダメージを負ってしまう。冷静でいる為には常に客観性が必要だと思うし、感情に振り回されると理性でブレーキを踏めなくなる。(もちろん時として衝動に任せて思い切りアクセルを踏むことも人生には必要だとは理解している。)

 

都合の良い解釈を辞めるにはどうすればいいか。相手の真意を理解すればいい。相手の意図を理解し、その意図や思想に繋がった背景を探り、言われた言葉を素直に受け取ればいい。具体的な手段として挙げられるのは普段からコミュニケーションをとること。誰でも思いつくような簡素で無難な答えに落ち着くのをどうか許してほしい。もちろん親しく無い人間とのコミュニケーションのハードルは高い。日本人特有の「察しろ・空気を読め」という文化も相まって昨今の対人間技能は義務教育を持ってしても手に負えなくなっているように思える。

 

元々他人と理解し合うなんて難しいのだから。ハードルは高いままでいいんじゃないか。親しく無い人間の真意を無理やり聞き出そうったって、俺が仲良くなれるのは俺と仲良くする気がある奴だけだ。そいつらの真意だけを理解できていれば俺はもうそれでいい。諦めとか妥協じゃない。取捨選択、と言ってもらおうか。うだうだと考えをつらつらと書いて結局、俺は俺と仲良くできる人間としか仲良くできません!という宣言をする。また一つ自分という人間を理解しちまった。

 

だから、桜が咲いたからバーベキューをしよう。沢山焼いた肉を食いながら他愛もない毒にも薬にもならない会話をしよう。花より団子なんて謙虚なこと言って無いで早く俺に美味しい肉を食わせろ。