悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

それでも俺は牛丼が好き。

現在、僕は鳴子温泉の奥にあるオニコウベという土地に仕事で来ている。泊まっている場所は昭和末期から平成初期の匂いを色濃く残した宿。Wi-Fiは無い。料理はお膳で宴会場のようなところで食べるが、正直なところそれほど豪勢なものでもなく一目見て「あぁ、この宿は儲かっていないんだな」と理解できる。不味くは無いが、ご飯がすすむというよりは酒のつまみのような印象。

 

入社後初の二人部屋での宿。相方となるのは一次請け会社の五十代のおっさん。機動武闘伝Gガンダムが好きな古のオタクだ。昨日も僕が床に就く隣で深夜までバトオペをやっていた。ポケットWi-Fiまで持参する用意周到ぶりには脱帽せざるを得ない。イヤホンやヘッドホンはしてくれなかったので、当たり前だがすごくうるさかった。

 

話は変わるが、吉野家の常務取締役の発言がTwitterで燃えている。会社側の対応が早かったのでこれ以上何かあるとは思えないが、それでも思うところは多くある。

 

僕は吉野家すき家に関わらず、牛丼というものが好きだ。そして牛丼に限らずジャンクフードというものがとても好きだ。安い、早い、うまい。日常的に自炊しない食事弱者ともいえる我々のような人種はリーズナブルで素早く食べれて、かつわかりやすい味に毒され続けて生きている。

以前ミートソースの話をこのブログで書いたとき、「食」の重要性をチラリと説いたが、今回もその話になる。

 

一日3回。一年で1095回もの回数を我々は「食事」するのだ。生活の質をあげようと思ったとき、食生活の向上が最も手っ取り早く生活の質の上昇を実感できると思う。自分でちゃんとレシピを調べて料理したり、友人とどこかへ食べに行ったり、そういう食にまつわる空間や時間も含めて生活の質を向上させるのに効果的だ、と思う。

 

僕の場合、一人でジャンクフードを食べている時や急いでいてなんでもいいから手っ取り早く食べれるものと言って牛丼チェーンに駆け込む時、食べているものに対して「エサ」のようだと感じてしまう。ニンゲンのエサ。ありがたみは薄いし、ちゃんとした食事かと言われればそんなことは決してないと思う。それでも無性に牛丼やハンバーガーが食べたくなる。今いる宿で出てくる食事を食べている時なんかは特に。深夜に食べる牛丼のような背徳的で依存性の高い「エサ」が食べたくなる。

 

あの役員が言ったセンシティブな言葉はとても「言語」としてレベルが高い。自社の商品や女性への蔑視を「わかりやすく」それでいて「ハイコンテクストに」しかも「下品に」表現している。言葉の内容はクソだし、そんなコンプライアンス意識で講師をやっていたのも驚きだが、言語単体で見れば表現力は満点だ。(あの発言や発言の内容は決して肯定できないことを念押ししておく。)

 

僕が「エサ」と感じたり、役員が変な発言をしたりしても僕は牛丼が好き。蔑称と知りながらもチーズ牛丼は食べるし、一日3食牛丼でも特に気にしたりはしない。牛丼そのものに罪はないから。カロリーとか、バランスの悪さとか、そういうことはあるかもしれないが。

Twitterとかで「吉野家なんてもういかない!」なんて怒ってる人を見ると悲しくなる。別に牛丼屋に行ってほしいわけじゃない。僕は牛丼チェーン店のイメージだとか、周りからもたらされる視線を理由に牛丼を嫌いにならないで欲しいだけだ。そんなつまらない理由で嫌いになるほど牛丼が好きでもないのに、そんなつまらない理由で牛丼を嫌いにならないでほしい。

 

まぁなんだかんだと言ったが、特にこれ以上言うこともないし今日はここまで。

P.S 出張から帰ったら行きつけの「すき家」に行きます。