悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

前進

1年ほど寝かせていたダーツを今年の1月からまた投げるようになった。理由はとても健全なもので、「外へ出る理由を作らないと家でゲームばかりしてしまう」というものと「純粋にダーツをまたやりたくなってしまった」からだ。ダーツを投げていない期間が1年ほどあったのは単に出張が多すぎて投げれなかったのと金がなかったからだ。

 

僕とダーツをやってくれる友人は3人おり、そのうち2人は実力的にも自分と近く誘ったり誘われたりしながら一緒にダーツをやることが多い。ご飯へ行ったりもする。

もう1人はランダムエンカウントのボスモンスターなので、彼とのダーツは学ぶべきことは多くあれど勝てることは滅多に無い。故にダーツというよりは禅問答や精神修行に近い。もちろんご飯へ行ったりもする。

僕は彼らにとても、とても言葉にはできないぐらい感謝している。自分にダーツをやらせてくれてありがとう。対戦相手がいないと成り立たないゲームなのだから、僕は彼らに救われているとも言える。彼らがいなければ、僕は今も部屋の中でゲームしかしていなかっただろうし、ネット対戦は性に合わない。

ネット対戦なら対戦相手には困らないが、ダーツのネット対戦はあまり好きでは無い。勝っても負けても釈然としない。会話もなければその場の雰囲気も伝わりづらい画面越しでは一試合にかける熱量があまりにも伝わらなさすぎる。本気を出したいし、本気を出されたい。欲張りかもしれないが、遊びでも勝負は勝負だろう?これはさすがに傲慢か。

 

ダーツをまた投げるようになって幾つか思うところがある。まず、現段階の自分はダーツのセンスが無いなと実感している。実力とかではなく、ダーツに向き合う姿勢や考え方のセンスが無いと思う。その日出たチョットだけ良かった成績に満足してしまうし、もっとできる筈のことに貪欲になれないのが苦しくもある。そして何より波があるばかりで成長を実感できていないのが苦しい。もちろんそれらは一朝一夕でどうにかなるものでは無いことは理解している。ただそう感じているのは事実なのだ。

 

向上心はある。強くもなりたいし上手くもなりたい。だがどう足掻いても時間が足りない。毎日投げたいが仕事の都合上そうも言ってられない。疲労も溜まるしストレスを強く感じて上手く楽しめない日もある。これは言い訳なのだろうか。僕にはわからない。

だが、ふと友人の一人に言われた「余計なことを考えている」という言葉に気づきがあったりもする。欲を出しているのか、もっとできる筈だと感じているのか、少なくとも自分は「考えながら投げている」ということに気づけたのだ。それは決して(少なくとも自分にとっては)悪いことでは無い筈だ。

ある程度強い人たちは"余計なモノを削ぎ落としていっている"みたいなニュアンスの話をするが、自分は全くそんな段階のウデマエではないのだ。技術的な話はわからないし、感覚的にビタで投げたいところへ投げられる能力もありはしない。こちらは実力的なセンスの話。

結局投げてる数とか時間とかはまだまだ足りないのだ。試行錯誤という贅沢は思考の上に成り立つのだから、自分はポジティブな意味でこれからなのだ。

 

自分のモチベーションが結構それなりにあることを自己覚知できただけでも一歩進めたってことでよろしいでしょうか。