悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

また明日から現場。

仕事に対して積極的な姿勢を持てないでいる自分と仕事に対して消極的にならざるを得ない現実の板挟みに絶望している。絶望、という言葉を使うとあたかも深刻な問題かのように聞こえるが実際は致命的な問題がすぐさま顕在化するようなことではなく、見る人が見れば僕の持っている感情は「ただの甘え」なのだろう。

 

見る人、というのはこの文章を読むことがないであろう現在の仕事場の人間達のことであり、つまりそれは僕が直面している働きづらい現実よりも一層過酷な現場や状況を乗り越えてきた人たちのことである。だからこそそんな彼らに対して面と向かって手心を加えろとは口が裂けてもいうことができないでいる。同時にそれが仕事に対して積極的な姿勢を持てない理由でもある。甘えるな、と言ってくる人たちは概ね皆全員「どうせお前は辞める」と言ってくる人たちだからだ。

 

期待されていないのは構わない。経験の長い先輩の言うことならば少なくとも未経験、しかも試用期間中である僕の思考よりは説得力があるはずだ。だから僕は仕事に対して消極的にならざるを得ない。反論できるだけの材料や説得力が無い。「どうせお前は辞める」と言われれば「長年勤めてきた先輩がそうおっしゃるのならそうかもしれませんね」としか言えない。

 

自分が無茶苦茶な事を言っているのはわかっている。「この仕事でなければならない」という熱意が無いから「どうせお前は辞める」という言葉に対して肯定しかできないということもわかっている。だが逆なのだ。

こちらは肯定しかできないのである。正しくは肯定することしか許されない立場なのである。なぜならその業界に対する知識も経験も全くないのだから。

 

初めは皆できなかったんだからこれから頑張ればいい、と優しく励ましてくれる人もいる。ありがたい存在だ。だがきっと、自分はそんなことを言ってくれる存在をがっかりさせてしまうのではないかと思うと、そういう優しい言葉にすら恐怖を感じるようになってきている。愚かな話だ。悲しい想像をするなればその人だって本当はどう思っているのかわからないのが正直なところだ。

 

ごちゃごちゃと理屈を並べて自分が今何を考えているのかをまとめようとしたが詮無い話である。結局、明日からまた現場に行く嫌な気分を紛らわそうとしているだけで具体的な解決には毛ほどにも役に立たないのである。一度友人が具体的な内容で転職を勧めてくれたが、それも熟考の末に様子見に回るような煮え切らない程度の考えなのだ。この具体性の無さこそが自分にとっては「甘え」であり自分の至らないところだと思ってはいる。

 

じゃあどうするのか。結局はまた明日から現場に行って怒鳴られたり怒られたりしながら働くしかないのである。嫌な気持ちは離散しない。なら蓄えて次の行動の材料にするだけなのだ。