悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

消えたサンドイッチ

狂気じみた文章を書こう、という試み。そも狂気じみた文章を書こうという試みを試みている時点で作為的に"そう見える"ように書いてはまるで狂気とは程遠い文章になってしまうのではないか、という危惧がある。ここは一つ、そういう文章を書こうと思った理由を押し並べてずらずらと書き綴っていこうではないか。

 

まず、初めに皆さんはサブウェイというサンドイッチチェーン店をご存じだろうか。狂気的な文章を書く試みとはかけ離れた切り口で話が始まったがまぁ最後まで話を聞いてくれ。

僕はサブウェイへは人生で二度ほどしか行ったことがない。今日米沢のサブウェイへ行ったのを加算すれば三度目だ。注文方法がやたらと面倒で「アレはドレにしますか、コレはドレにしますか、ソレはつけますか」だのなんだのとやたらと問答とトッピングバリエーションが多い。だがあの楕円形の潜水艦のようなサンドイッチ(オシャレな言い方ならパニーニ?)は非常にうまい。とても、というレベルを超えた"非常に"というおいしさ。家であのレベルのサンドイッチを喰おうと思えば割と結構材料やら作る手間やらが大変だろう。

 

僕はある日あの楕円形の潜水艦のような形をしたサンドイッチが無性に食べたくなった。なってしまった。コンビニの安い紛い物のサンドイッチを食べてから本物への渇望の芽が徐々に育っているのを自覚していたが、機を逃したと気付くのはいつも手遅れになってからである。サブウェイの味の再現動画など見るべきではなかったのかもしれない。だがその時の自分に必要なのは紛うことなき本物のサブウェイのサンドイッチだったのだ。

サブウェイへ行きたくなった動画↓

 

僕の住む福島市にはサブウェイが一軒しかない。それもヨークベニマルというスーパーの中に間借りするようにしてそのサブウェイは存在しており、スーパーが改修工事ともなれば必然的にサブウェイも営業はしていないということになる。その事実が判明したときは危うく気が狂うかと思った。手に届く位置にある時はたいして目に入りもしないのに、いざ手に入らないとなると途端にソレは絶対の魔力を伴って欲望を刺激する。人間はなんて愚かで脆弱な生き物なんだ。

 

サブウェイのサンドイッチは酸っぱい葡萄にはなり得ない。そして代替となる物も所詮は紛い物。とすれば米沢のサブウェイまで片道48km、往復で約100km。行くしかないだろう?今回に限っていえば距離など問題ではなかった。一人で行くことの方が気掛かりだった。なぜならこれはきっと"正常な判断"ではないからだ。たかがサンドイッチを食べるためだけに高速道路に乗ってまで雪の中遠出する。傍目から見れば狂人。だがそれでいい。俺は狂ってでもサブウェイのサンドイッチが食べたい。

 

そして僕は友人を何人か誘い、一人を除いて全員に断られた。一つ下の後輩と共に豆粒のように小さい軽自動車に乗ってサブウェイへ行ってきた。結論から言おう。サブウェイのサンドイッチは最高だった。基本的に自分は何を食べても美味しく食べられる極度の貧乏舌であると自認しているがサブウェイのサンドイッチは別だ。なぜ今まで毎日食べていなかったのか不思議なぐらい美味かった。今後は好きなバーガーチェーンを問われたらサブウェイと答えよう。サブウェイはバーガーチェーンではないが、サブウェイの魔力に蝕まれた人間はそう答えるに違いないからだ。

 

この世には大いなる悲劇が数多くあるが、その悲しみの欠片を今日も一つ発見した。確かにサンドイッチを食べ終わった俺は非常に満足した。それと同時に悲しくもなった。サンドイッチは食べると無くなってしまう。そんな当たり前のことに気づいたからだ。Twitterでそのことを嘆いているとなんとサブウェイの広報アカウントからリプライが。

 

 

もうここから先は狂気の時間だ。狂気とは愛。俺は今日を境にサブウェイとサブウェイのサンドイッチへの愛に目覚めた。ただ純粋にサブウェイへ行きたがっていた恋という段階を超えてここから先は如何にしてサブウェイへの愛を深めるのかという愛と狂気に満ちた時間だ。休日のたびに福島にサブウェイがないことを嘆きながら米沢まで通おう。目先の目標は全てのメニューを食べ尽くすことだ。その先はトッピングの組み合わせの開拓。布教活動も忘れてはならない。この怪文はそのためのものだ。この無駄に長い文章を読んだあなたも一度サブウェイへ行ってみてはいかがだろうか。サブウェイに支配された理想の世界を作るための礎となることの第一歩として。