悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

無題

立秋とは名ばかりで茹だるような暑さが続く。気付いたら8月も終わり。知り合いの30代が「ぼーっとしてたら20代終わってた」と言っていたが今その言葉の片鱗を垣間見た気がする。明日目が覚めたら三十路になっているかもしれない。

 

生きるのに勢いは必要ない。一人暮らしを始めた5年前と比べて今の僕の生活に勢いは全くない。何をやるにしても惰性感が強い。惰性で生きて、惰性で飯を食う。水の流れに身を任せて流されてゆく小石のような生き方だ。素晴らしく合理的で理性的だ。一時の感情に任せて自刃するよりはマシだという自尊心が僕に飯を食わせている。自尊心様々だ。

 

最近、自分から発せられる文句の質が著しく悪くなっているのを自覚している。職場や私生活、Twitterも含めて「なぜ」という過程をすっ飛ばして結論から真っ先に「死ね!」と叫んでいる。実際のところ、そんなことを軽々しく言ってしまうことが出来る自分にがっかりしてダメージを負うのだが、自尊心さえ死んでしまえば後は気楽に首に縄をかけられるので何ひとつ問題は無い。

 

数日前、僕は職場で重大事故を引き起こした。詳細は省くが入居者が骨折した。とにかくどうすれば良いのか、最善最良の選択なのかは今をもってしてわからなかった。あれ以来、いろんな人に「あの事故は大変だったね」と言われる。自らの罪を忘れるなという戒めの言葉に聞こえて、堪らなく嫌になる。ただ単に本当に労っているのか、あるいは僕の被害妄想なのか区別がつかない。

 

職場は足のつかないプールのように息苦しく、それでいて休日は息継ぎだけで精一杯だ。ダーツやゲームで気を紛らわせるのが上手くなってきているのがよくわかる。そうやって徐々に愚かで鈍感な人間になっていくのだとしたらそれはもはや自尊心の死を意味する。

 

自宅で酒を飲む機会が増えた。最近わかったのは僕は酒が好きな訳ではないということだ。酔っ払い、正体をなくし、自らが愚かな人間であることを忘れるのが好きなのだ。その行動自体が愚かな人間たらしめる理由であることが笑いどころかもしれない。もちろん嘲笑の類だ。

 

最近、人と話す機会がすっかり無くなってしまった。職場以外で話をする相手はダーツバーで会った人ぐらいだろうか。格ゲーをする友人は自らこちらに連絡をよこしたりはしない。しばらく忙しそうだし仕方ない。気分転換にと、少し大げさに部屋の掃除をした。普段過ごす部屋は随分と広くなった。休日に外へ出ないで部屋に閉じこもると今まで感じていた孤独感がより一層強くなった気がする。嫌な気分だ。

 

少し前に「俺は趣味に生きる!」と見栄を張ったが、早くも挫折しそうだ。え、あとこの生活を何年するの?…とか思った瞬間もうダメだった。楽しく生きるビジョンなんて全く見えない。何をどうやって生きるモチベーションにしたらいいのさ。人生100年時代?なんだよそれ、拷問じゃねぇか。辛くても生きなきゃいけない、とかそういうクソみたいな義務はなんなの。まっさらな何もない空間に閉じ込められる恐怖や不安をどう押し殺すのが正解なの。誰か助けてくれよ、マジで。