悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

めんどくさい話

おおよそ2週間以上前に家の近くにとても綺麗な花を見つけた。茎の長い、鮮やかなピンクの花。知らない人の家の敷地に生えていたので写真を撮りはしなかったが、あの花の名前がなんなのかも知らないで記憶に留めておくには惜しい美しさだった。昨日の帰りに見た時には花冠は既に落ちており、少し悲しい気持ちになった。

 

ここ数週間、家から出るのが億劫になってきている。茹だるような暑さだとか煩わしい雨だとか、そういう原因もあるが何より気持ちが動かない。誰かにどこかへ誘われるような事もないし、自分から何かをできるほどの気持ちの余裕も無い。なにもない休日は家で自堕落に過ごし、ゲームや読書でただ流れる時間をやり過ごしている。有意義に過ごしているとは言い難い。

 

職業訓練校の期間はあと2ヶ月を切った。就活はうまくいっていない。指名求人は4件入ったが、通勤出来無さそうな場所が3件、MTの免許が必要な場所が1件。実際に働く事を考えるとどれも少し現実的じゃない。求人検索で調べても専門的な技術と資格が必要なまともなものと、年間休日の恐ろしいほど少ないところ、生活保護寸前の給料など、福島市の求人の"死にっぷり"ばかり目につく。

ぼやぼやしていられない。こうやっている間にも期限が迫って来ているのだから。2ヶ月後の「詰み」が恐ろしく、何かをやらなければならない焦りと、それでいて何もやる気にならない不甲斐無さが歯痒くて気が狂いそうになる。

どうにもならないとは思わない。だが到底「何とかなる」と楽観もできない。

 

働いているわけでもないのにストレスが溜まっているのを感じる。離職後、一時的にストレスから解放された時期があったが、あれは友人らとの付き合いがあったからだ。ここ最近は関わりのあった友人らもなしのつぶてで、こちらから誘うわけにもいかないという現状が更に距離を離れさせているように思える。都合は合わせられるから誘ってね、と言ったが最後、未だに連絡のない様子を見るに僕のことなど忘れてしまったのだろう。

 

ダメ人間になってしまった、と思うことが多くなった。こんなはずじゃなかった、なんて言葉を吐くような烏滸がましい真似はできない。だが、もう少しまともな人間でありたいと少なくとも過去の自分は思っていた筈だ。だがおおよそ自分の考える"まともな人間"にはなれそうもないところを見るに、もう少し割り切って考えるべきなのだ。おそらくは。

 

「割り切る」という言葉の素晴らしさを最近になってしみじみと感じている。自分には割り切れない思いや考えが多すぎる。社会の理不尽、人間の愚かさ、自分自身の不甲斐無さと一滴の期待。きちんと割り切って考え、現実を直視した上で、物事を捉える。あとは自尊心さえ処理してしまえば、もっと気楽に首に縄を掛けられる筈なのに。

 

ネガティブな話はいくらでもできる。ある種コレは特技かもしれない。活かされる類のものでは無いというのが痛恨の極みである。この文章だって1文字1円ならタバコ2箱分ぐらいになる筈なのに、金になる事もないし誰かの為になる事も無い。なんだったら自分ですら何の為に書いているのかわからない。自己不満足。だがこれが結果なのだ、受け止めるしかない。

 

楽しかった記憶に縋ろうといろいろ思い出そうとしてみた。けれど結局、それは過去の出来事であって現在は何一つ変わらない事実に打ちのめされるばかりだった。不愉快だ。こういう気分の時に頭を切り替えようとしてもうまくいかない。だからこそズルズルとこういうくだらない文章を書き続けている。

 

こないだ「そろそろブログ書かないんですか」と半笑いで言って来た輩がいる。こんな惨憺たる僕の様を見て笑っているのか、何が面白くてそんなことを言っているのかは正直わからない。今日書いているこの文章は脈絡も無くしっちゃかめっちゃかで、愚痴にすらならないゴミのようなものだ。今回に限って言えば読んで欲しいとは思わない。

 

これだけネガティブなことをつらつらと書き連ねておいて言うのもなんだが、誰かに励まして欲しいは思わない。励まされたとして、その励ましに応えるないし応えられるだけの気力や能力が今の自分にあるとは思えない。口だけで「頑張ります」なんて言ったって何をどう頑張ればいいのかすらわからないでいる。要は励まされるだけの資格が、ない。苦しい。