悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

5月23日は「世界亀の日」

全く興味は無いが、5月23日である今日はキスの日だそうだ。ツイッターハッシュタグで初めて知った。私はまた1つ無駄な知識を増やしてしまった。

 

キスする相手もいない私はお口が寂しいのかもしれない。

 

代わりに毎日タバコを吸う。悲しい。

 

 

1日に一箱、20本。

私が吸っているタバコの本数だ。

もちろん健康に悪いことも、自分の生活費を圧迫していることも承知の上で吸っている。

 

私の周囲では加熱式のタバコがその勢力の過半数を占め、ついに紙タバコ派は時代遅れの烙印を押された。

健康に悪いシガレット。だが、それでいい。それでなければダメなんだ。

 

 

なぜ、私はタバコを吸うのか。生きる為であり、それと同時に早く死ぬ為である。

こんなにも生きづらい世の中で、ストレスに押し潰されないように生きるには、タバコを吸うしかない。

そしてそれと同時にこんな生きづらい世の中、さっさと死んで楽になってしまいたいとも思っている。

 

初対面の非喫煙者は体に悪いから辞めろ、と言う。癌になって死んでしまう、と。

 

馬鹿か。逆だ。私はタバコに生かされているんだよ。

タバコを辞めれば、たちまちストレスで膨れ上がり内側から破裂して中身の毒を撒き散らして死ぬ。私にはその自信がある。

 

 

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私はストレスを溜めたくない。だが、それと同時に現状に対して満足したいとも思っていない。

コイントスをした時、必ず表か裏がでる。指でコインを弾き、空中で回転して手の中に再び収まる。その数秒の間に表か裏、どちらかが決まる。

 

今の私は言うなれば、空中で回転し続けたまま手の中へ収まることを良しとしないコインそのものなのだ。

生きる為にタバコを吸い、死ぬ為にタバコを吸う。積極的な生存活動であり消極的な自殺志願。

 

 

可能であるなら亀のようにずっと眠っていたい。

そう思わない日は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の上司をぶっ殺したい

前の職場の上司に出会ってしまった。

法人内の研修の講師でこちら側に来ていたようだ。

 

正直、私は彼に会いたくなかった。恩はあるにせよ私は彼の器の小ささを目の当たりにした唯一の人間だからだ。(そう思ってるのは私だけかも知れないが)

私の彼に対する失望が周囲に漏れるのは可能なら避けたい。

 

言いたいことも話したいことも沢山あったが近くに施設長がいた為、私は逃げるコマンドを選択した。

 

詳しいことは書こうとは思わない。数ヶ月前に彼が私に行った仕打ちも、私が彼へと言った言葉も、何処にも残してはならない類のものだとわかっているからだ。それを今更蒸し返してもお互いに気分を害するだけで何の得にもならない。

 

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連勤5日目を終えて、胃がキリキリと痛む。出勤があと1日もあるのかと思うと嫌になる。

私の職場はカレンダー通りの休みは存在しない。介護の現場に於いて6連勤とは、よほど人員に余裕がない限りありえない数字だと先輩が言っていた。(連勤に関して規定が存在する為。)

 

人に優しくするには、まず余裕が必要だ。6連勤は私の精神を確実に削っているし、この状態で人に優しくなんていうのは鈍感なやつでなければ難しい。

 

今日も胃が痛くて、看護師に太田胃散をもらってしまった。情けない。

 

お茶のトロミはユニフォームにぶちまけるし、人知れず柱にぶつかって肩は痛いし、睡眠の負債は溜まりに溜まって眠いし、イライラして胃は痛い。

踏んだり蹴ったりだ。誰か私を殺してくれ。

 

かと言って仕事は辞められない。転職はリスクが高い。手取りを維持できるかも、新しい職場で馴染めるのかも、場所の問題、生活の変容など。

 

所詮、私はリスクを恐れるチキンだということだ。情けない。

 

 

 

いっそのこと、何もか放り出してハワイに行きたい。噴き出るマグマで焼肉がしてみたい。

ワイキキのビーチで嫌という程に肌を焼きたい。

何だったら昔の上司を餌にして釣りをしたっていい。

まぁそんな時間も金も、存在しないが。

 

誰か、誰でもいい。ブレイクスルーを、私に授けてくれよ。

コーヒー

その時、私は目が覚めたんだと思う。

何が起こったのかと言えば、なんて事はない。

手に持っていたコーヒーカップを壁に叩きつけ、それが中身を撒き散らしながら割れたというだけだ。

 

一体全体、なぜそんなことをしたのか。

気が狂ったのではない。壁にGがいたわけでもない。

 

タバコを持ったまま、コーヒーカップを持ったことでタバコの灰が小指に当たったのだ。思わず腕を振り抜いた。

 

しまった、と思った。

壁に叩きつけられて粉々になったカップを見つめて私は暫くの間、呆然とした。

 

何をやってるんだろう。

 

夜勤明けであったこと、日中一睡もせずに夕方ダーツへ行ったことを鑑みても、やはり私の行動は支離滅裂を極めたものだった。

 

 

カップの破片を片付け、ぶちまけたコーヒーを拭き、大きくため息をついてから思った。

 

気が狂ってるわけでもないのに、コーヒーの入ったカップを壁に叩きつけるのは、いくらなんでも気が狂ってる。

 

明日はプラスチックの割れないカップを買いに行こう。気が狂った人間が、万が一にもカップを壁に叩きつけても割れないように。

カッコイイ仕事って何?

いやー…

ダーツ楽しい。

最近、先輩方にも勝てるようになってきて、オンラインとかでもええ感じなんですわ、ええ。

クリケットは未だに苦手だが、ゼロワンならええ感じで勝ててきてる。以前、言ったように私のオシャンティ数は徐々に上がりつつある。100オーバーでゼロワンあがった時とか絶頂でドヤ顔が止まらなくなる。

 

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ふと我に帰った時、その背後には何時も虚無が立っている。大きくはないがよく響く声で奴は言う。

「明日は仕事じゃけん、はよ帰りや」

 

ダーツブースの隅にある喫煙室へ即座に潜り込み、震える手付きでタバコに火をつける。

吐き出したタバコの煙で幻影を掻き消すと私は独り言を声に出さずに叫ぶのだ。

「今が楽しければそれでいいのだ」と。

 

 

今まで、虚無達は友人といるときは姿を現さなかった。たいていの場合は家に帰った時、部屋の隅で小さく蹲っていることの方が多かった。しかし今年度に入ってからというものの、奴らは時・場所を選ばず現れるようになった。

 

どこへ行って、何をしていても「明日は仕事じゃけん…」と声が聞こえて来る。

楽しい時とつまらない時の落差が激しい時ほど奴らは大きく声を上げ、私を絶望させる。

やめろ、やめてくれ。私はずっとダーツをしてカードゲームをしてプラモを作って格ゲーやって生きていたいんだ、働かせるだなんてそんな拷問、死ぬほど耐えられない。だが働かねば飯を食えない。飯を食えなければ死ぬしかあるまい。

 

働かねばならぬのだ。

せめて飯を食うにしても、カッコイイ仕事で飯が食べたかった。

 

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そんで?カッコイイ仕事って何よって話です。

今の話題で言えば例えば、大谷翔平。メジャーリーガー。うん、カッコイイ。

飛行機のパイロットとか?カッコイイ。

あとはね、官房長官。何やってるのか知らないけど、言葉の響きがいい。カンボーチョーカン、カッコイイ。

DJもカッコイイしモーションアクターもカッコイイ。バイク屋もカッコイイし花屋もカッコイイ。

 

単に他人が憧れるものがカッコイイのか?

誰にもできないことが仕事にできるのがカッコイイのか?

 

 

まぁ、どんな仕事だろうが、

少なくとも介護士よりはカッコイイ。介護は給料も安いし、高齢者からの暴言暴力は当たり前だし、キツイし汚いし、それでも笑顔で敬語……。かっこよさのかけらもない。悲しいなあ。

少年時代の私が夢見た「カッコイイ仕事に勤める」ってなんだったんだろう。

 

いや、わかっている。わかっているとも。

これが現実だ。私の分相応、というものなのだろう。

 

 

 

 

私は飯を食うために仕事をしてるのだ。カッコをつけるために仕事をしてるわけではない。こんなことを論じても、無駄だ。寝よう。

オシャンティス

私は自分の格好や着る服に特にこだわりを持つタイプではない。

しまむらだろうがユニクロだろうが、イオンのよくわからん服だろうが、家にあれば適当に服を着る。

 

あの服がカッコええから買いに行こう、なんて思ったことは今までもこれからも、おそらくないと思う。

 

私の専門学校時代の友人に、蝶ネクタイやサルエルパンツをはきこなすような超オシャンティーな男がいたが、影響をうけるようなことは全くなかった。彼は今何をしているだろうか。

 

 

つい最近。

オシャレ、という言葉から遠くかけ離れた処で生きている私も、ついにオシャンティスの階段を登るべく始めたことがある。

 

ダーツだ。

 

 

 

格好に気を使うようなそういうオシャンティスでは無い。だが、ダーツめっちゃ強い人ってかっこええよな。

ボロボロのスニーカー、擦れたジーンズ、わけのわからないTシャツ。冴えないやつだと思いきや、めっちゃダーツが強い。

なぁ、かっこええよな。

 

ダーツの修行をはじめて早くも3ヶ月。順当に私は強くなってきている。ドラゴンボールで言うと、初期のヤムチャぐらい。

どれぐらいオシャレかを表す数字、オシャンティ数だと20ぐらい。ちなみに蝶ネクタイの似合う男は53万だ。

 

こないだは師匠であるニカイドーさんに501で勝つことができた。日々の素振りとイメトレの成果といえよう。

 

このままダーツが強くなり続ければ、私のオシャンティ数も上がっていくに違いない。オシャンティーなダーツバーでオシャンティスなフランス人とデュエルに勤しむに違いない。

 

 

まぁ、妄想もほどほどにして、1つ質問なんだが。

オシャンティスって何?

 

今の自分は本来の自分とかけ離れた自分である。

皆さんはそう感じたことは無いだろうか。

職場、学校、友人との付き合い。様々な場面で無理なキャラづけをしていないだろうか。

 

そのあらゆる場面で自分を演じるその誰かこそが本来の自分であるというのに無自覚でいるのは、あらゆる苦痛の種になると誰かが言っていた。

 

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このブログを熟読している狂人なら知っているとは思うが、私の職場は介護施設だ。介護施設の現場では、実際に介護する場所とパソコンを使った業務をする場所は別になっていることが多い。

 

スタッフルームというかサービスステーションと呼ぶかは場所によって違うが、いわば職員詰所みたいなもんだ。

 

私の働くユニットでは、この職員詰所の端っこにトイレがある。もちろん、ドーーンとトイレがあるわけではなく、申し訳なさそうにこじんまりと個室になっている。

 

この個室トイレがやたら何というかな。

音が漏れるんだよね。

 

男だろうが女だろうが関係なく使う詰所内のトイレ。もうね、壁もドアも無いんじゃないかってレベルで音が漏れる。

どれぐらいヤバいかっていうと、トイレに座ってため息を吐くときの、ため息が聞こえる。

 

自分の排泄音を聞かせたい人なんていないだろうし、私だって可愛いあのこがこんなエグい音だしてアレを捻り出してるとか知りたくもない。(知りたいという人がいるのであれば、今すぐ死ぬことをお勧めする)

 

トイレって、人間が安らげる場所No.2であるべきだと私は思っている(No.1は布団)

本来の自分をさらけ出すのが許容される場所だとも思っている。

 

それが排泄音がダダ漏れる緊張感たっぷりの修羅場というのは、あまりにも悲惨ではないだろうか。この世界には逃げ場など無いとでもいうのか。キャラ付け・人格欺瞞・性格詐称などのその全てが、あのトイレの前には粉砕される。あのトイレのドアには「お手洗い」と書いてあるが、正しくは「キャラ付け破壊兵器」だ。

貴様のキャラ付けでその排泄音は無理があるだろう、と誰もが思うからだ。

 

なんて、なんて恐ろしい兵器なんだ。

誰か一刻も早く音姫を配備してくれ。もしくはトイレに入るとデスメタルが大音量で流れる装置を開発してくれ。

 

というわけでメタルはSlipknotのday of the gusanoがオススメです。

憂鬱。

 

季節の変わり目は憂鬱。

私は1年のうち4回は必ず憂鬱な時期がある。1年のうち4回程、1ヶ月の間アイデンティティを失った哲学者になると言い換えてもいい。

ちょうど、今。私の抱える鬱憤は計り知れないほど膨らみつつある。

 

3月から4月にかけて憂鬱になる原因。

単に忙しいからというだけでなく、周囲の環境の変化が顕著であるからと、尤もらしいことを言ってみたりする。変化する周囲と、変化しない自分を見比べて頭を抱える。

「このまま一生、私はこのままなのだろうか」

 

変化する周囲も変化しない自分自身も、意味もなく恐怖を感じる。このままでいいのか、という焦りだけが私の頭を支配する。

追いつかないし追い越せない、差が広がるばかりの、そんな徒競走に果たして意味はあるのか。

 

わからない。

 

 以前から言っているように私は一日を生きるので精一杯なのだ。 

何か変化があれば、それに適応するまでにストレスが溜まる。そしてそのストレスを発散するのに金や時間を使う。1日を終えると疲れた身体で泥のように眠り、翌日には重い瞼をこじ開けて仕事へ行く。以下、無限ループ。

 

 

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F氏の話をしよう。

私は彼とは友人ではない。中学時代の1年生の時に同じクラスだった、というだけの仲である。もちろん連絡先は知らないし、ここ数年で1度も会うことはなかった。

そんな彼と再会を果たしたのは南福島にあるヨークベニマルでのことだ。

 

一目見た時からはっきりと「あれはもしやFなのでは」とわかった。特徴的な丸顔、華奢で女の子のような体型。染めたのかと思うほどの茶髪は彼の地毛である。

 

人柄は根暗でバカ。そのくせにプライドは高いからか、喧嘩の弱いFは2年生へ上がるのと同時にイジメを受けた。

 

1年生のころの私は彼とさほど仲が良いわけでなく、かといって険悪というほどでもない、いわば普通のクラスメイトの1人であった。だから2年生へ進級した後のことまではわからない。知る気もないし、その方法もない。しかし、彼がイジメを受けていたことは事実だと思う。

 

 ヨークベニマルのインスタント麺コーナーにいた彼に私は声をかけた。そんな気軽なものでなく、私の口から出た言葉は「お前、Fか?」だった。彼は私の方を見てから明らかに落胆してみせた。「なんだ、伊藤かよ」と。

 

偶然とはいえ、私は彼との邂逅を喜んだ。しかし、彼とは3言ほど「元気?」「ヘロヘロだよ、そっちは?」「俺も」と言って、そのまま別れた。あの時もっと会話しておけば良かった。そう後悔したが、意味はない。

 

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私は高校生の時にローソンでアルバイトをしていた。その時、一度だけFにあった事がある。当時、彼はすでに働いていた。姿から察するに土木関係の仕事の筈だ。当時も似たような会話をした記憶がある。そこから数年経った今、そんな些細なことの詳細を覚えている筈もない。

 

脳裏に浮かんだ中学時代の彼は、常に怒っていた。数年前のローソンであった際はひたすら荷重気まずい空気を醸し出していた。

こないだはどうだったろうか。彼の顔や出で立ちは思い出せるが、その表情だけがすっぽりと記憶に無い。

 

 

私と彼で何が違ったのか。生まれも育ちも違う中で、何もかもが違うと言い切るのは簡単だろう。しかし、私が中卒で働いていた可能性はゼロでは無いし、逆に彼がちゃんと進学して就職していたという可能性もある。ヨークベニマルで出会った時、もしかしたら立場は逆だったかもしれない。もちろん、立場が逆でも会話の内容に差異はないだろうが。

 

 

 

ここ1週間、ずっともやもやしている。3月になってからだ。私はどんな表情で彼と会話したのだろうか。彼はどんな表情で?

それに拘る必要は無いし、意味もない。けれどこの先2度と会わない可能性があるという事を考えれば、最後に私と会話した時の表情は気になる。

 

 

 

寝不足の瞼をこじ開けて、顔を洗った後。

ふと見た鏡に答えがあった。Fのあの表情。思い出した。あれは「全てを諦めた表情」だ。