悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

ヘイト・オブ・ホトケ

9月も月末、上半期が終わろうとしている。私の職場の職員同士の不和や環境に対する不満は新体制2ヶ月目にしてなお盛り上がりを見せていた。

 

なぜこうなった。そして頭を抱えているのは私だけなのだろうか。

 

確かに以前から不和や不満の火種はそこらじゅうにゴロゴロと転がっていた。ここ最近のユニット内の感触としては、一向に解決しない問題への不満の慢性化が噴出して来たものが多い。

 

例えば、再来月には妊婦のYさんが産休に入る。単純に労働力を一人分失う。

しかし、それに伴う人員の配置転換は無い、と主任であるHさんが言い切った。ユニットリーダーであるSさんはというと、あろうことかそれに同調。人がいないのはどこも同じだから、とのこと。

 

パート職員や年増の囂しい職員はもちろん不満を声にしていた。私への愚痴という形で。

私は飲み会の席で思い切って主任に尋ねてみた。職員個人のマンパワーの底上げを狙うのは賛成だが、労働環境が悪化するのはどうお考えか。

主任はにこやかに答えた。慣れれば問題ないよ、と。

 

一体何を言っているんだろう、コイツ。ビールがピッチャーで運ばれて来て良かったと思った。もしも瓶だったら、主任の頭を瓶で叩き割っていた。

問題に目を瞑り、我を通すやり方。主任という肩書きを持つ人間のそれでは無かった。

 

問題は更に出てきた。主任は集団体操などのレクリエーションを日課にするというのだ。2〜3日に1度ぐらいの頻度で行なっていたレクだが、確かに痛いところを突かれた。

 

本来なら高齢者の機能の維持や楽しみの創出の為に行われるレクだが、ここのユニットはいかんせよ高齢者の認知度が高く、集団体操を行う意義が少ない。(手本を見て同じ動作が出来ない為。)

業務量の多さに忙殺されて個人的な関わりを持つことができていない現状、意義の少ない集団体操に時間を割く程の余裕がこのユニットにあるのだろうか。入居者の介護度の重度化がかなりの割合で業務に響いているというのに。

そしてまたもや愚痴の嵐である。なぜ私にいうのだ。主任に言え、阿呆共め。

 

月末に行われるユニット会議が今月だけ月の中旬で行われた。もちろん主任の一声で。

ユニット会議内でレクの話が上がった。ここぞとばかりに私はレクの義務化に対する考え方を述べた。帰ってきた言葉を聞いて私は後悔した。

 

慣れれば問題無いから、ルーチン化はやめません。代わりに、入居者個人の楽しみを紙に書いて提出してください。それらも今後、ルーチンに組み込みます。

 

もう、ダメだ。主任は暴走してる。職員の労働力が際限なくあるものだとでも思っているのか、コイツは。話にならない。

 

できるならやってるわ。出来ないからやってない。だから環境なり働き方なり、それを改善していこうという考えは無いのか。

やることばかりが増して、人員は減り、労働環境は悪化する。職員同士のヘイト管理がどうとか、主任に少しでも期待した私が馬鹿だった。

 

まぁ、いい。落ちるとこまで堕ちてみようじゃないか。私は「少なくとも今月は」仏モードなのだ。貯めるさ、ヘイトを。

 

 

仏モード

9月になってしまった。

8月の夏祭りではそれとなくヨサコイを踊り終え、普段と変わらぬ愛すべき殺伐とした日常が帰ってきたかのように思えた。

 

うふふ。嘘。忙しきことこの上なき。ゲロゲロリ。

研修、伝達講習会、委員会、行事、カンファ。

はい、死んだ。私のライフゼロ。御陀仏で仏様になってしまいました。

 

まぁそんなことはどうでもいい。

以前から幾度となく伝えてきたが、私の仕事は介護士だ。介護福祉士の資格は持っているが、資格の有無など些細な違いでしかないと思っているので、私は介護福祉士とは名乗らない。

 

ここ二ヶ月で私の働くユニットの環境が大きく変化した。部署の中堅であるMさんと副主任であるSさんが異動と産休で部署から離れていったのだ。ユニットにおける精神的支柱であった彼らが抜けたことによる影響は大きく、皆ストレスと忙しさで文字通りの満身創痍である。

 

抜けていった彼らの代わりに来たのが妊婦であるYさんと、主任のTさん。この二人がやはりというべきか、ユニットの職員とズレがある。

 

ズレ、と言っても慣れない中でのズレであり、 それが今後どう作用していくのかは私にはわからない。職員同士のヘイト管理は私の仕事ではないので、今は大人しくTさんに任せるしかない。

 

とは言っても現実問題ユニットの雰囲気は最悪で、仕事ができない奴が新人を罵り、ベテランのパートが愚痴を振りまき、リーダーと来たばかり主任は職員感情を把握するので精一杯で何もできていない。

 

私自身はというと愚痴を聞いたり、愚痴を聞いたり、愚痴を聞いたり、と…うーん愚痴しか聞いてねぇなコレ。

 

あはは、どうにもなんねぇや。

 

ーーーーーー。

 

飴と鞭、という言葉がある。

帝国時代のドイツの宰相、ビスマルクの政策を指す言葉だが、慣用句として今もよく使われている。

まぁ大雑把に言えば、しつけなどにおいて甘やかしたり厳しくしたりして支配する、という意味。まんまだな。

 

 

 

私にはつい最近決意したことがある。

それは「優しい人間になろう」である。

雑な目標である。これには明確な目的があり、その目的とは「楽に働く」ことにある。この決意までたどり着くにはいくつかの経緯があり、それには上記の職員同士の問題も含まれている。いろいろあったんです。いろいろ。

 

まぁ、なんていうかな。やっぱりいくら仕事ができても他人に優しくできない人間ってクソだなって思うことがありまして。

ーー愚痴は割愛。

 

実際、どのようにして優しい人間という曖昧なモノになるのかと言えば、それは極々単純に「アメになる」ことだ。飴と鞭の、アメになる。

認めて、許す。そして責めない。それを実践するだけ。

 

もちろん舐められるわけにはいかないので(舐められてもいいとは思っていても)自分のやるべきことはやりますよ、ええ。もちろん。

 

まぁ9月を仏モードで乗り越えた後にこの目標の反省なんかを自分でしようかなとか思ってます。

ノールック・ヨサコイ・イン・ザ・ヘル

私が老健から特養に異動して1年。

ついにこの時期が来てしまった。

 

夏祭り。基、地獄。

 

私の今年の担当はヨサコイソーラン。

ラップ調の、何を言っているのかわからないヨサコイに合わせて、激しく手足を振り回す。

非常に腰に負担のかかる踊りだ。馬鹿馬鹿しい。

 

部署の同い年の職員に誘われなければ、練習など行かない。当たり前だ。残業代など出るはずもなく、やりたくてやっているわけでないのだから。

 

だからこそ、私は必死だった。

一日も早くヨサコイとやらを覚えて練習に出なくて済む状態にせねばならぬと決意していた。

 

「していた」……つまり、過去形である。

そう、それは既に過去の話なのである。

 

今はもう覚える気も、練習する気も、ヨサコイを本気でやってる阿呆共に気を遣う気もない。

 

私はヨサコイを覚える為に練習に行っているのだ。自分の時間を使って。

それがどうだ、今日は。

 

「壁を向いて練習しろ」だそうだ。

 

おいおい、壁を向いて練習したって、お手本がなきゃわからんぞ。2.3回ほど踊って、阿呆が言った一言。

「流れを覚えよう」

 

はぁぁーー!?!?

壁を見ろって言ったのてめぇだろうがよ。それとも壁を見てたら流れが覚えられるのか?

 

私はここ2ヶ月ほど、大人になろうと努めて来た。許して、認めるということを信条に文句や愚痴を言わぬよう努めて来たのだ。それを、わざわざ人を怒らせる為に言っているのかと疑いたくなる言葉だった。

 

私は口から出そうになった言葉を飲み込んで、その場で鳴子を投げ捨てて帰った。

文句やら叱責なら甘んじて受け入れよう。

もうやる気は出ない。できる奴とやりたい奴でやればいいんじゃないですかね。

 

 

 

ペンギン

 

ペンギン、という言葉を聞くと息がつまる。

どきりとして、一瞬たじろぐ。冷や汗をかき、キョロキョロとし始める。

 

街中でそんな特徴を持った小太りの男を見かけたら、きっとそれは私だ。

 

森見登美彦のペンギンハイウェイを1ヶ月ほど前に読了した際、私は奇妙な体験をした。そしてその体験は今もなお続いている。

 

ペンギンという言葉を聞くと嫌な気持ちになるのだ。数秒の間、息がつまる程に。

 

ペンギンハイウェイは内容としては面白かったし、森見の表現する奇妙で独特な世界観は私を大いに魅了した。

 

しかし、読了と共に私が得た喪失感はトラウマを呼び起こすのに十分過ぎた。

 

私の持つトラウマは時折、ひょっこりと顔を覗かせては消え去り、落ち着くとまた現れる。

現れる度に私の心臓を握りつぶそうとするのが難点だが、まだ現実にその影を落としてはいないのが救いだ。

 

 

最近はタバコを消費する速度が速くなっている。物語に対する欲は減退している。活発では無いし、長く遠い先を考えるのに苦痛が伴う。

どこに自分がいるのかもわからない。

 

それでも、私もあの少年のように走らなければならないのだ。

素麺を茹でながら、そんなことを考えた夜でした。

 

意味のないモノ発明王選手権

 

最近の私の話をしよう。

 

すこぶる調子が悪い。

不眠気味である。普段なら0時を過ぎると自然と眠気が降りて来て、身体が泥のように重くなる。その時、私の意識は意味のない妄想から夢の世界へ羽ばたいていくのだ。普段なら。

 

最近はそこがうまくいかない。身のない意味のない妄想から夢のなかへ羽ばたく過程がうまくいかない。

 

むやみやたらとタバコを吸いたくなるし、瞼は一向に重くならない。呼吸は苦しい気がして、暑い気がする。隣の部屋の時計はうるさいし、2階から響く足音は私を苛立たせる。

 

眠れない。眠気は、私の眠気はどこへいった。

 

 

 

ーーーーーー。

私は思い立った。つまらないことをしよう。

学生だった頃、つまらない授業や講義は睡魔との戦いだったではないか。

 

つまらないこと、つまらないこと。

そうだ、意味のないものを作ろう。

炭酸抜きコーラ、何も隠せないふんどし、肉抜きハンバーガー。

まだだ、眠気は来ない。

 

レンズのないサングラス、穴の空いたバケツ、顔の隠れない仮面。

 

多くの意味のないものが生み出された。

そして夜は開けた。睡魔など来る気配もない。

 

 

 

 

 

 

5月23日は「世界亀の日」

全く興味は無いが、5月23日である今日はキスの日だそうだ。ツイッターハッシュタグで初めて知った。私はまた1つ無駄な知識を増やしてしまった。

 

キスする相手もいない私はお口が寂しいのかもしれない。

 

代わりに毎日タバコを吸う。悲しい。

 

 

1日に一箱、20本。

私が吸っているタバコの本数だ。

もちろん健康に悪いことも、自分の生活費を圧迫していることも承知の上で吸っている。

 

私の周囲では加熱式のタバコがその勢力の過半数を占め、ついに紙タバコ派は時代遅れの烙印を押された。

健康に悪いシガレット。だが、それでいい。それでなければダメなんだ。

 

 

なぜ、私はタバコを吸うのか。生きる為であり、それと同時に早く死ぬ為である。

こんなにも生きづらい世の中で、ストレスに押し潰されないように生きるには、タバコを吸うしかない。

そしてそれと同時にこんな生きづらい世の中、さっさと死んで楽になってしまいたいとも思っている。

 

初対面の非喫煙者は体に悪いから辞めろ、と言う。癌になって死んでしまう、と。

 

馬鹿か。逆だ。私はタバコに生かされているんだよ。

タバコを辞めれば、たちまちストレスで膨れ上がり内側から破裂して中身の毒を撒き散らして死ぬ。私にはその自信がある。

 

 

ーーーーーー。

 

私はストレスを溜めたくない。だが、それと同時に現状に対して満足したいとも思っていない。

コイントスをした時、必ず表か裏がでる。指でコインを弾き、空中で回転して手の中に再び収まる。その数秒の間に表か裏、どちらかが決まる。

 

今の私は言うなれば、空中で回転し続けたまま手の中へ収まることを良しとしないコインそのものなのだ。

生きる為にタバコを吸い、死ぬ為にタバコを吸う。積極的な生存活動であり消極的な自殺志願。

 

 

可能であるなら亀のようにずっと眠っていたい。

そう思わない日は無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

昔の上司をぶっ殺したい

前の職場の上司に出会ってしまった。

法人内の研修の講師でこちら側に来ていたようだ。

 

正直、私は彼に会いたくなかった。恩はあるにせよ私は彼の器の小ささを目の当たりにした唯一の人間だからだ。(そう思ってるのは私だけかも知れないが)

私の彼に対する失望が周囲に漏れるのは可能なら避けたい。

 

言いたいことも話したいことも沢山あったが近くに施設長がいた為、私は逃げるコマンドを選択した。

 

詳しいことは書こうとは思わない。数ヶ月前に彼が私に行った仕打ちも、私が彼へと言った言葉も、何処にも残してはならない類のものだとわかっているからだ。それを今更蒸し返してもお互いに気分を害するだけで何の得にもならない。

 

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連勤5日目を終えて、胃がキリキリと痛む。出勤があと1日もあるのかと思うと嫌になる。

私の職場はカレンダー通りの休みは存在しない。介護の現場に於いて6連勤とは、よほど人員に余裕がない限りありえない数字だと先輩が言っていた。(連勤に関して規定が存在する為。)

 

人に優しくするには、まず余裕が必要だ。6連勤は私の精神を確実に削っているし、この状態で人に優しくなんていうのは鈍感なやつでなければ難しい。

 

今日も胃が痛くて、看護師に太田胃散をもらってしまった。情けない。

 

お茶のトロミはユニフォームにぶちまけるし、人知れず柱にぶつかって肩は痛いし、睡眠の負債は溜まりに溜まって眠いし、イライラして胃は痛い。

踏んだり蹴ったりだ。誰か私を殺してくれ。

 

かと言って仕事は辞められない。転職はリスクが高い。手取りを維持できるかも、新しい職場で馴染めるのかも、場所の問題、生活の変容など。

 

所詮、私はリスクを恐れるチキンだということだ。情けない。

 

 

 

いっそのこと、何もか放り出してハワイに行きたい。噴き出るマグマで焼肉がしてみたい。

ワイキキのビーチで嫌という程に肌を焼きたい。

何だったら昔の上司を餌にして釣りをしたっていい。

まぁそんな時間も金も、存在しないが。

 

誰か、誰でもいい。ブレイクスルーを、私に授けてくれよ。