悩みの日記。記すは発見。残すは苦悩。

日々の悩みや発見を書き起こし、問題解決の糸口を探る為の日記。

文才が無い

私には、クソガキの頃から確信して一度も疑ったことが無いことがある。

それは「サンタクロースは存在しない」ということ。もう1つは「自分には才能が無い」ことだ。

 

登時小学生だった私は国語の授業で担任の丸山先生に「独創的な考え方の持ち主」と言われ、意味も考えずにつけあがった。

自分がズバ抜けた平均的でない何かを持って生きているのだと信じて疑わなかった。

しかし、その何かは才能ではなかった。

 

 

漫画も小説もゲームも、どれを取っても人が作ったものであり、やはりそこには限界がある。

何かを生み出すには、自分の人生で得てきた何かを削って絞って捻り出して生み出す必要がある。そこに何かをプラスα加えるとしたら、それはその人の悍ましい妄想であろう。

 

そうした様々な人々の努力の結晶を私は「つまらん」とか「そこでそのキャラ死ぬ!?普通そこ死ぬか!?」であったり「納得できねぇ」とか言いながら批評し罵倒し詰り倒す。挙句の果てには読まなくなる。

 

私は言うのだ「なんかおもしれぇ小説とか漫画とかゲームはねぇの?」

無い。そんな底なしの理想を押し付けて粗探しするのに、そんなものある訳がない。

 

…なら自分で作ればいいじゃないか。

もう1人の僕がそう言った気がした。

その日のうちに小説投稿サイトのアカウントを作り、iPhoneのメモ帳に小説を書き始めた。それもSFファンタジーを。

 

はっきり言おう。糞だった。身を削って、頭を絞って、捻り出した私のソレは糞以外の何物でも無かった。内容物を表記するなら100%濃縮還元の妄想。中二病の俺TUEEE作品が許されるのは中学生までだ。

読み返す度に自殺を考えるほど深刻な黒歴史の出来上がりであった。(しかもそれを友人2人に見せ、感想まで求めるという愚行を果たした。乳首打首晒し首である。)

 

黒歴史を3回ほど読み返して衝動的に超高層ビルの屋上から飛び降りてから改めて思った。文才が、無い。文を書く才能が無い。

才能とは弛まぬ努力してはじめて開花するものだと誰かが言った。きっとそれは本当なのだろう。

…だが私には「弛まぬ努力をする才能」が無い。私にとって才能という言葉はサンタクロースの延長線上にある。想像上では実在する存在。現実世界には影を落とさない虚数のようなものである。

 

文才の無い私が、このブログを書き始めてもう10ヶ月ぐらい経つ。日記をつけ始めて相当な時間が経ってしまった。継続は力なり、とかほざいた糞野郎がどっかにいるらしいが10ヶ月ぐらいじゃ、継続の内に入らないのか文才を会得することは出来ないようだ。

このブログの日記も、可能な限り読み返さないようにしている。文才の無さが滲み出てきてじっとりと嫌な汗をかくからだ。悩みに即したくだらないオチを必死に考えてスマホをバコバコ打ち込む自分の姿を俯瞰したとき、おそらくその人間はその瞬間死ぬ。そういう意味では私は心の中でもう何度も超高層ビルから飛び降りている。

 

 

 

こんな文章を書きながら、たった今ズボンを下げてトイレに座った。悩みが一瞬で吹き飛んだ。文才がどうとかどうでもよかった。

それよりも大きく恐ろしい問題が目の前に現れたからだ。

 

紙がない。

 

 

 

 

最近のゲーム

私がプレステ4を買ってからかなりの時間が経った。

やったゲームはブレイブルーCF、ラチェット&クランク、ニーアオートマタ、FF15ドラクエ11、SAOホロウなんとかの6つだ。

残念ながら、どのゲームも満足度のあるボリュームとは言えなかった。

なぜならオンライン環境を整えていないからである。

 

ネット環境があればブレイブルーならネットで対戦ができるし、FFとニーアならダウンロードコンテンツでもっと楽しめたと思う。

どのような内容なのか。それを実況動画などで賄ってしまった。

 

ネット環境を整えないのは単純に惰性だ。そのうちやろう、と思ってたらアパートを引っ越さなければならない事案が出てきた。まだ具体的でも現実的でもないけども。

 

話の本題はこれから。

プレステ2の頃とかそれより前のゲームってもっとやり込みゲー多くなかったか?そう思うのは私だけだろうか。

 

 

私が生まれてから約5年。発売と同時に、我が家にもプレステ2が同然のように鎮座していた。DVDの再生機能もあるということで、それまでお世話になったビデオデッキと入れ替わる形で出現した黒い箱は瞬く間に我が家の主役になった(ような記憶がある気がする)

 

当時小学生1年生だった私はスーパーファミコンの「ミッキーとミニーのマジカルアドベンチャー2」と「不思議なダンジョン2 風来のシレン」に大ハマりしていた。ドットで描かれたポップなキャラがより「ゲームらしさ」を醸し出していた。

 

しかし父のプレイする鬼武者を見た時である。

衝撃。リアルな形の人間(左馬之介)がリアルなゾンビ(幻魔)をバッサバッサと斬りふせるのだ。実写じゃねぇか…!幼い私にとってプレステ2はDVD再生機能の有無に関わらず、より現実味のある「リアルさ」を体現するものだった。

 

あれから約17年たつ。今のゲームは恐ろしいほどの進化を遂げた。フルボイスは当たり前、細かく作られたキャラクター、リアルな動き。ゲーム内の風景なんかは写真で見せられたら現実的と大差ない、下手したらゲーム内の方が綺麗かもしれない。当時のそれとはまるで何もかも違う。虚構が虚構で無くなってきている。

 

しかし、ゲームとしての本質は変わらない。グラフィックの良さ、システムだ操作性だ、といったものは格段に良くなったが、肝心の「いかに長く楽しく遊べるか」が今ひとつ足りない気がする。

 

それはスーパーファミコンとかプレステ2とか、王道な良ゲーばかりやってきた私にとって、ものすごく重要なことだ。

 

スーパーファミコンで1番長く遊んだのはロマンシング・サガ3。8人の主人公によってエディングが変わり、どの仲間を入れるのかとか、自由度がひたすら高いRPGだった。2番目に遊んだのはバハムートラグーンか。

プレ2なら、1番長くやったのはロマンシングサガミンストレルソングドラクエ8FF10もかなり。

 

そもそも私はゲーマーではない。ゲームは好きだが、おそらく無くても生きていける。故に最新作とかいう文字を見てもあまりときめかない。みんなが褒める誰がやっても楽しいゲームが好き。ミーハーと言ってくれて構わない。

 

だからこそが故に思う。最近のゲームはグラフィックばかりだ、と。

 

その最たる例がFF15だった。FF5の時のような多岐にわたるジョブシステムにワクワクする感じとか、FF10のようなどこまでも強くなれる感が、無い。ストーリーはプレイヤーを置いてけぼりに、キャラの魅力も控えめに言ってただのホスト、バグはてんこ盛りで、グラフィックだけが良い。

 

べつに私はグラフィックは求めていない。ゲームとしての楽しさとか、魅力的なキャラとか、そうゆうのだ。求めてるのは。

 

ドラクエ11も楽しかったが不満が残った。内容は良かったし戦闘も楽しかった。だが、微妙に、そう、足りない。すごく簡単すぎて、円満にまとめられすぎて、御都合主義すぎる。ドラクエ7みたいな、一種の楽しい回りくどさがまるで無い。ダンジョンもご親切にミニマップまでついてて謎解き要素がまるでない。ヌルゲー。

 

…。批判がしたいんじゃないんだ。もう少しやりこむ余地があってもいんじゃね、って言ってんだ。

 

テイルズみたいな周回で引き継ぎ要素がどんどん増えるとか、メタルギアみたいに攻略方法が沢山ありすぎるとか、クラッシュバンディクーみたいにコンプリート要素が隠しステージにつながるとか、な。

そういうのが欲しい。

 

 

 

グラフィックはどうでもいい。ドットで描かれたキャラが主で構わない。

 ストーリー長めでいくらでも強くなる余地があって、クリア後もずっと遊べるような……

 

ん?

それってもしかしてネトゲか…?

 

ネット環境がないです!!

チキショウ!!

 

 

〈完〉

それでも。

風邪をひいて5日過ぎた。効いてるのかどうかわからない薬を飲むと、やっぱりというか吐き出したくなる衝動に駆られる。飲みづらいのだ。

 

私はここ最近喉が痛い。鼻水は出るしくしゃみも出る。熱は高く無いが体はホカホカ、汗が出る。今日職場で測ったら37.2度だった。うん、高くない。

 

上司が数日前に職場へと持ち込んだ風邪は猛威を振るっている。現在進行形でだ。

利用者、職員問わず、皆が一様にティッシュボックスを求めて彷徨い歩く姿はバイオハザードのゾンビのそれだった。

 

今晩も夕食を軽く済ませてから寝床に潜り込んだが、鼻水の洪水で窒息しそうで寝られない。

 

それでも明日は仕事だし、私は鼻をズバズビブビブシャアしながら出勤する。

 

多分、余程のことがない限り出勤する。

実家が火事になるとか、吾妻山が噴火するとかしないかぎり、おそらく出勤する。

地震とかなんかじゃ多分欠勤は出来ない。

それぐらい、今、私が働いてる場所は人がいない。8時間パートの人のいいおばちゃんが足腰を痛めたらしい。それがすごく響いてる。

もちろん、風邪ぐらいじゃ休めない。戻らないコンディションに対して言い訳するわけじゃないけどさ、そりゃそうだよね。

 

 

 

 

驚愕。

文句を垂れながら異動して早くも30日がたつ。

私が垂れ流し続ける文句の質も大分クリーンな内容になり過激な言葉は減ったと思う。

異動になったことや、新しい職場の労働環境の悪さも、改めて言葉にしようとすると割とありきたりでそんな奴どこにでもいると思えるようなことばかりだったから、私はしばらく愚痴の類は慎もうと思う。

 

さて、新しい職場になって明日で一ヶ月。

今日の遅番は約2時間の残業ですんだ。

帰る間際に、同じ年齢の好感度高めの女性職員に言われた。

 

 

「あれ、前もメガネしてましたっけ」

 

 

……!?!!??

なんだと…?

一ヶ月近く、それも二日に一回のペースで顔を合わせながら今更…それ!?

えぇ!?マジで!?ナンテコッタ!?メガネ!?

 

私はそこらへんの野郎に比べて悪い意味で特徴的な顔をしていると思うし、メガネが印象的と言わないまでも少なくともメガネをかけていることは記憶に残るものだと思っていたが…。

 

メガネをかけていないと思われていた…?

それとも顔を直視されていなかった…??

いやそれとも顔面が記憶に残らない程の存在であったということの遠回しな示唆???

なぜメガネをかけていないと思われていたのかがひたすら不明。驚愕の後、困惑である。

わけがわからないよ…。

 

ーーーーー。

 

以前、それも高校の時だ。メガネをかけ始めてから言われたことがある言葉。

「お前はメガネを外すとインテリ度がさがるな。素顔はアホっぽいからメガネかけとけ」

メガネで見た目の頭の良さ「インテリ度」が上がるとは思えなかったが、鏡に向かってメガネをつけ外ししてインテリ度の存在が実証されてからは割と気にしていた。

 

そうか、私はメガネを外すとアホっぽく見えるのか。そう言って寝る時と風呂に入るとき以外は四六時中メガネをかけてクイッとやってた。

メガネが私のインテリ度を上げるマストアイテムだと信じてやまなかった。

 

ーーーーー。

 

しかし、その幻想は打ち砕かれた。

メガネをかけて「インテリ度たけぇぞアピ」をし続けてもなお「メガネしてましたっけ」の言葉の前には豆腐にも劣る脆弱さを露見したのだった。

 

私のここ数年のメガネスチャァは意味がなかったと言うのか。少なくともメガネという存在を認識していなかった彼女の前には意味のないアピールであったことには違いない。

 

 

 

こんな時間にブログにこんなことを書いてもわからないことはわからないし、メガネをかけてもインテリ度は上がらない。私は今更そんなことに気づいたのだった。

 

風邪をひいた

風邪をひいてしまった。

一昨日の夜から鼻水が止まらない。だるくて気持ち悪い。いつでもゲロが吐けそうだ。

しかし今日も私は仕事である。電話して休もうにも新しい職場の電話番号など知らないし、休むことはそれすなわち「そうゆう奴だ」と思われることだ。

 

食欲が全く無い中、カロリーメイトウィダー、おさかなさんソーセージで食事を済ませた。薬を飲む。こんな少ない動作が辛い。

 

そういえば、こないだ副主任が咳をしながら頭が痛いと言っていた。同僚も咳をしながらタバコを吸ってた(風邪によるものなのかは不明だが。)

昨日は利用者2人が体調不良。うち1人は熱発。

体調不良のビッグウェーブに私も飲み込まれたのか。

 

これ以上症状が悪化するのはいただけない。仕事に支障をきたす。そう思って昨日買った市販薬は2000円もした。高い。

 

あぁ。仕事に行きたくない。

秋の足音

秋が来た。

原付で通勤する私にとって、朝は寒く昼は暑く夜寒いというのは地獄だ。今年の夏はだいぶ寒かったから福島のお米が心配。

今年は桃を食べなかった。季節の果物を食べることで一年という期間の折り返し地点を実感できると誰かが言ったが、原付で通勤する私に季節の折り返し地点を実感するというのは

それすなわち寒いだの熱いだの、と言って衣服を引っ張り出すことと同義なのでどうでも良いことなのだ。

 

さて、夜寒いと暖かいものが食べたくなる。

肉まん、おでん、シチュー、グラタン、うどん、ラーメン、鍋。

寒い部屋で1人でゴハン。メッチャ寂しい。

この寂しさこそが秋の本質だ。きっとそうに違いない。他の季節ではこの寂しさは減退するからきっとそうに違いない。

 

私は昔から何かにつけて利用され尽くす秋という言葉が嫌いだった。運動の秋、芸術の秋、読書の秋、秋、秋、秋。

夏休みが終わるとそこに待っているのは秋だった。社会人になり、その悲しみに打ち勝つ事が出来たと同時にマイフェイバリット夏休みもそこには存在しなかった。

年がら年中夏休みが恋しく、次の夏休みはなん年後になるのかという悲しみを背負って毎日生きている。一年中秋の気分。

 

寂しい。

 

逃亡中のベトナム人をSSにしてみた

私がその男を匿ったのは気まぐれであった。
会社での残業を終え、ふらふらで帰宅している途中に、歩道橋の下で蹲っているのを発見した。


右手には銀色に光る手錠が嵌っており、靴は何も履いていなかった。上半身は裸で刺青らしき模様が見受けられる。

 

脱獄犯か何かかと思った。しかし、その男の顔は投獄されそうな凶悪な人相とはかけ離れており、東南アジア特有の顔の濃さと真っ直ぐな瞳がこちらを不思議そうに眺めていた。

 

その真っ直ぐな瞳が助けを求めているような気がして、私は一人暮らしの築26年のボロアパートに男を匿った。男は名乗らなかった。

 

火をつければよく燃えそうなこのアパート。私の部屋は閑散としていた。地元から逃げるようにして引っ越してきた場所で、生きていくために選んだ会社はその地でもブラック企業と名高い会社だった。家に帰る暇は無く、家で過ごす時間が極端に無いから家の中の物は増えない。子供でもわかる理屈だった。

 

冷蔵庫の中の缶ビールを差し出すと男は首を振った。代わりにペットボトルのコカコーラを手渡す。畳に座ると私は一番搾りを開けた。続いて男もコーラを飲み始めた。

 

男はカタコトな日本語でゆっくりと、私に伝わっているかを確認するかのように話し出した。
地球人では無いこと、地球の文化を調べるために留学してベトナム人に寄生したこと、迎えに来る宇宙船との交信のミスで待ち合わせが日本になってしまったこと、地球滞在の為のビザが切れて不法滞在になり地球警察に追われていることを話した。

 

私の手に負える話では無いと思った。それが本当でも嘘でも、惑星規模の犯罪者になるか国際規模の犯罪者になるか程度の差であり、犯罪者になることは変わらなかったからだ。それに明日も仕事かと思うと憂鬱でそれどころではなかった。

 

男の方へ目線をやると目があった。
今日誕生日なんだ、そう彼は付け加えた。
私は缶が空になると布団に寝転んだ。彼に冷蔵庫の中の物を好きにしていいと言うとそのまま眠りについた。

 

翌朝、5時半。寒さで目が覚めた。外は厚い雲に覆われており、今にも雨が降り出しそうだった。


ベランダへ続く窓が全開になっており、男は外にいた。右手にはスプライトのペットボトルが握られていた。


こちらを振り返り、迎えが来たと呟いた。そしてカタコトな日本語で謝ってきた。

1つ、嘘ついた。留学が目的なのではなく、仕事から逃げる為に地球に来た。昨日捕まってればゆっくりと誕生日を過ごすことができなかった。我々金星人にとって、誕生日は一生に一度しかこない特別な日だ。
プレゼントのコーラ、うまかった。
そう言いながら徐々に空に吸い込まれていく。
願い事、叶えるよ。言って。
仕事を辞めたいと叫ぶと空が光った。


あまりの眩しさに閉じた目を開けると、もう彼の姿は無く、空は晴れ渡っていた。
低い位置の太陽がさっきの光とは違う眩しさで私を照らしていた。昨日からのことは全て夢だったのかと思ったが、確かに冷蔵庫の中のコカコーラとスプライトは無くなっていた。

 

その日、出勤しようと職場に歩いて出た。いつもの道を通って、職場に着くと会社が無くなっていた。会社の土地だったであろう場所が草原になっていた。

 

私は自分が無職になったことに気づき、願い事はお金にしておけば良かったと後悔した。