私は職場でしょっちゅう「頑張れ」と言われる。
彼らは具体的に何を、とは言わない。とにかく頑張れとだけ言うのだ。
そしてその頑張れというエールに対して、私は「嫌です」と答えるのが今の職場での常である。
私は自分自身のストレス耐性の低さをよく自覚している。過度な期待や重圧は基本的に全て避けたいと思って生きている。いや、過度でなくとも、重くなくとも、期待や圧からは逃げたいと思っている。そういうものは私にとってストレスにしかならないと、今までのところで私は充分わかっているつもりだ。
不甲斐ない私を笑ってくれても構わない。
時に、私は思うことがある。
ストレスが溜まってから発散するというのは非常に疲れる。非効率的だとも。
ストレスを発散する為にエネルギーを使い、金を使い、時間を使い、何かをする。休日はあっという間に終わるし、少なくともそんなことに躍起になっている時間が我々にあるのだろうか。
たいていの場合、休日にはアレをしよう、コレをしよう、と考えているうちにその休日は終わる。そして、無益な時間を過ごした事を後悔して床に就くのである。
ある時、私は「そもそもストレスを溜めないように生きるようにすればいいのだ」と思い立った。現在は言いたいことを言いたいように言うだけのカスのような人間になってしまった。いや、以前からか。
だから彼らが言う「頑張れ」という形だけのエールに、私は「嫌です」と答える。
彼らは挨拶のように頑張れと言う。おはよう、おやすみ、お疲れ様でした、頑張れ。
この頑張れという言葉がもう少し具体的であれば考えを改めるかもしれない。
◯◯を頑張れ、とか…?
いや、自分が言われる場面を想像して見たが無理だ。私は「嫌です」と答えるに違いない。
理想を言うのであれば、
◯◯の為に頑張れ、とか。頑張れば◯◯してあげる、とか。
何の為に頑張るのかを具体的に明示して頂きたい。
定時で帰るために頑張れ。えぇ、頑張ります。
ボーナスの為に頑張れ。是非とも頑張ります。
頑張ったらおっぱい揉ませてあげる。めっちゃ頑張ります。いや、頑張らせてください。頑張ります、頑張ります!おっぱいの為に!!!おっぱいの為にッッ!!おッッぱいッッッ!!!
もちろん、これらは私の妄言である。現実に言われる日は来ない。
あぁ。おっぱい揉みてぇ。